第七話 1945年第三帝国崩壊

               

 ヒトラーは3月18日と19日、ドイツ国民を死に追いやる最後の破壊命令を発する。
 3月18日、ヒトラーは「直ちに主要戦闘地域の後方から全住民を退去させよ」という命令を出した。連合軍に捕虜として捕まる前に、ドイツの安全な田舎に疎開させよ、ということだったが、鉄道も破壊され交通手段も無い中、支給する食料も無いのにそんな大規模な疎開は無理だった。ヒトラーはこの命令を少しでもドイツ国民を助ける為に発した訳では無かった。それは翌3月19日に発令した命令で解る。


 3月19日、ヒトラーは次のような破壊命令を出している。
「一切の軍事施設、交通、通信、産業、補給施設ならびにドイツ国内にある有価物で、敵がいま直ぐ、もしくは近い将来、なんらかの形で戦闘の継続に役立てうるものは全て破壊せよ。」


 要するに、負けるなら全て破壊し、ドイツ国民は全員死を選択せよ、ということだった。
これにはナチスの中でも同意できないものが沢山いた。彼等はこのヒトラーの命令を国民に伝達する事はしなかった。しかし、中には今だにヒトラーを信仰し、彼の命令を忠実に実行しようとした人もいた。彼等は破壊特別隊を組織し、自分達にも生き残る為に必要であるはずの施設などを破壊して回った。

 3月31日、ソ連のスターリンが首都ベルリンへの攻撃を命じた。
 連合軍の間では、ベルリンを占拠するのはソ連軍の役目として、合意がなされていた。
 東部戦線、西部戦線からかろうじて逃げ帰ったドイツ軍は、ベルリンに立てこもり最後の抵抗をした。その中には、ミューラーの姿もあった。


 ベルリンの街は24回もの爆撃を受け、街は瓦礫と化し、全住宅の3分1が破壊された。焼け出された人々はより安全な地方に疎開し、430万人いた人口は260万人にまで減少していた。


 4月13日、狂気の中にいたヒトラーにある報告が寄せられた。
 アメリカ合衆国32代大統領、フランクリン・D・ルーズヴェルト死亡の報告であった。
 それを聞いたヒトラーは狂喜した。
「戦争は決定的な転機を迎えるだろう!」しかし、ヒトラーを取り巻く状況は何一つ変わらなかった。


 1945年4月22日、最後の作戦会議が召集された。
 今や、幻影を見続けていたヒトラーは、意味不明の作戦や指令を口にしたが、回りの者にはもうどうする事も出来なかった。


 同日、ソビエト軍の戦車隊が、ベルリンに突入を開始した。


 そして遂にヒトラーの野望から生まれた第三帝国、滅亡の時がやってきた。
 4月29日、ヒトラーはごく身近かな側近等とベルリンの首相官邸の地下壕に隠れ潜んでいた。その日、ヒトラーは長い事愛人としてそばにいたエヴァ・ブラウンと正式に結婚式を挙げた。そしてその翌日、4月30日午後3時15分、一発の銃声と共に、ヒトラーはピストル自殺を遂げた。その傍らには、毒を飲んだエヴァの亡きがらが寄り添っていた。

 ベルリンを占拠したソビエト軍は、ドイツ帝国議会議事堂の屋根によじ登り、赤旗を高々と掲げた。最後まで抵抗を続けたミューラー達も、それを見て武器を捨てた。ミューラーは帝国議会の議事堂に翻る赤旗をライカに収めた。一つの時代が終わりを告げた。

 ドイツ軍はその後もしばらく散発的な抵抗を続け、最終的に5月7日、全面降伏した。
 ミューラーは、ソ連軍に捕虜として捕らえられた。
 ライカは、ソ連軍の若い兵士に取り上げられた。手足を縛られて、最後まで抵抗したドイツ兵達と数珠なりに繋がれたミューラーは、撤退するソ連軍のトラックに乗せられ、モスクワ郊外の刑務所に連行された。

 軍服を脱がされたミューラーは、みすぼらしい囚人服を着せられてソ連兵の尋問を受けた。5年間の従軍で少佐にまで昇格していたミューラーは、ドイツ軍の中での役割をしつこく聞かれた。どの部隊に所属し、どこで、どのような作戦に従軍したのか? 作戦の指揮はとったのか、ソ連軍の捕虜を処刑した事はあるか? 占領地で略奪などに加担していないか? 尋問は数日間に及んだ。そして、尋問以外の時間は強制労働を強いられた。かつて、ドイツ軍が破壊した瓦礫の山の後始末だ。


 ソ連軍の監督官のドイツ兵に対する態度も横暴だった。それは、ドイツ軍がソ連兵捕虜にした事に輪をかけて残虐だった。ミューラーは内心、それも当然の帰結と諦めていた。アウシュビッツでミューラーが見たことは、回り回って今、自分に課せられているのだった。


 刑務所はドイツ人捕虜で一杯だった。若いものから年寄りまで、狭い部屋の中に大勢が閉じ込められていた。強制労働は過酷で、食料はわずかしか支給されなかった。ドイツ人捕虜もその多くが餓死や病気の為死亡した。ミューラーはその後3年に渡って拘束され、1948年の暮れに釈放されドイツに帰国が許された。


 取り上げられた傷だらけのライカは、当然のごとく、彼の手許にはもどらなかった。

 

第八話につづく