
第二十三話 1969年月面着陸
1969年、ポルシェ908には更に改良が加えられ、908/02型スパイダーが製作された。908/02は、ブランズハッチ6時間やタルガフローリオ、ニュルブルクリンク1000km、ワトキンスグレンなどで勝利を収め、この年のメイクスチャンピオンを勝ち取った。
5Lクラス用に開発された917は、それまで小排気量のクラス優勝しか狙ってこなかったポルシェが、初めて総合優勝を狙う為に開発したマシンであった。

わずか10ヶ月の開発期間で作られた917は、空冷水平対向12気筒エンジンを搭載し、排気量は4494cc、圧縮比10.5:1から560ps/8300rpm、50kg-m/6800rpmを絞り出した。ボアストロークは908と共通化され、アルミやマグネシウム、チタニウムといった超軽量パーツが多用されている。912型と呼ばれるこのエンジン、実は戦後間も無い頃、フランスに捕らえられていたフェルディナンド・ポルシェ博士の保釈金稼ぎに、ポルシェ設計事務所が製作したグランプリ・マシン、チシタリアGPの 12気筒エンジンの経験が大いに役立っていた。
ボディ形状はロングテールとショートテールの2種類が作られ、ロングテールで380km/h、ショートテールで340km/hの最高速をマークした。
917はグループ4のスポーツ・カー・レースにホモロゲートする為、25台が製作された。
デビュー戦はスパ1000kmレースだったが、バルブ・トラブルでリタイアに終わった。
初めの頃、917はハンドリング不良等のトラブルが相次ぎ、目覚ましい活躍は見られなかった。
ル・マンに出場した3台も、1台はスタート直後の事故でリタイア。もう1台は15時間目の148周走行中にオイル・リークでリタイア。最後の1台はあと2時間でゴールという、22時間目に317周を周回してギアボックスの故障でリタイアした。
917はその年の最終戦、オーストリア1000kmレースでやっと初勝利をものにした。
ル・マンの約1ヶ月後、アメリカは国全体が熱狂の渦に飲込まれていた。
アポロ11号の打ち上げである。今回、米国宇宙局・NASA は史上初の人類の月面着陸を予定しており、成功すれば宇宙開発で先行していたソ連に一気に追い付き、追いこすものとなるプロジェクトだ。世界の目は、ケネディ宇宙センターの発信する情報に釘付けとなった。
1969年7月16日午後1時32分(UTC:協定世界時)、月着陸船アポロ11号を積んだサターンv SA-504型ロケットは、フロリダのケネディ宇宙センターから打ち上げられた。
大気圏を脱出し、時速35000kmというスピードで地球周回軌道に乗り地球を1周半した後、午後4時16分、再度点火して月への遷移軌道に乗った。指令・機械船コロンビアは、月着陸船イーグルを収納したS-IVB段から切り離され、方向転換した後、4時56分ドッキングして月へ向かった。
アポロ11号は、月へ向かう途中、カラーのテレビ映像を地球に送って来た。
7月19日午後5時21分、無事月の周回軌道に乗り、7月20日午後6時11分、船長の二ール・A・アームストロングとパイロット・エドウィン・E・オルドリンjrの乗った月着陸船イーグルがコロンビアより切り離され月面目指して降下を開始した。
7月20日午後8時17分40秒、イーグルは北緯0度40分12秒、東経23時29分24秒 ”静の海”に着陸した。
「houston, tranquility base here the eagle has landed !」(ヒューストン、イーグル静の海に着陸!)まさに歴史的な瞬間だった。イーグルは着陸直前大きなクレーターを発見し、いかにして交わすか躊躇したが、燃料が残り4分というギリギリの処でこれを交わし、無事着陸にこぎつけた。
そしていよいよ、その時がやって来た。
7月21日午前2時56分15秒、アームストロング船長ははしごをつたって月面に、歴史的な人類の第一歩を刻んだのである。
「that's one small step for man, one giant leap for mankind !」
(この一歩は小さな一歩だが、人類にとっては偉大な一歩だ!)
雑音交じりの無線から、アームストロング船長の重みのある第一声が全世界に轟いた。
19分後、もう一人の宇宙飛行士オルドリンも月面に降り立ち、二人して梯子に取り付けられていた銘板の覆いをはずした。そこには「here men from the planet earth first set foot the moon on july, 1969 AD. we came in peace for all mankind.」
(西暦1969年7月、我ら2人惑星地球より来れり。我ら、全人類の平和を希求してここに来れり。)という銘文が刻まれていた。
彼等はこの後、米国国旗を月面に立て、様々な観測機具を設置し、250メートルほど月の上を歩き回って、月の石や太陽風のサンプルを採取して午前5時11分、着陸船内に戻った。二人はこの後7時間程休息と着陸船の点検をし、着陸から21時間36分後の7月21日午後5時54分、月面を飛び立った。
午後9時34分、月周回軌道にいたコロンビアとドッキングして、7月22日午前4時54分、主エンジンに点火し地球へ帰還の途に付いた。
7月24日午後4時50分35秒、コロンビアは米国海軍回収船、USSホーネットが待ち受けるハワイ南西約1500kmの南太平洋上に無事着水した。
3人の宇宙飛行士は、全世界から熱狂的な歓迎を受けた。
アポロ計画はこの後も1972年12月11日、再び”静の海”に着陸した17号まで続けられた。その間18人の宇宙飛行士が月の軌道まで行き、その中の12名が月面に降り立って船外活動を行った。ちなみにアポロ計画で月面探査に使われた月面車はハブモーター駆動を採用しており、ポルシェ社はこの月面車のデザインで五千万ドルの報酬を得ている。
1970年に入って、917はその操縦性を向上させる為外装に大きな改良が加えられる。ショートテール・ボディのエンジン・カウルを廃止し、後ろ半分を跳ね上げたようなエッジ・シェープで、排気量も4907ccにアップされた。これにより最高出力は600psにも達した。このマシンは917kurz(917K)と呼ばれ、後”ホワイト・ジャイアント”という異名を取り大活躍を見せる。kurzとはドイツ語でshortを意味している。
そんなポルシェに対抗して来たのが復権を目指すフェラーリだった。
フェラーリは3Lプロトタイプに312P、5Lスポーツカーに512Sを擁し真っ向からポルシェに勝負を挑んで来た。フェラーリのエンジンはどちらも水冷のV型12気筒で、512Sは4994cc、最高出力590ps/8500rpmで車重は910kg。

1970年6月13日、ボリスのル・マン通いも20回を数えていた。
1951年の最初に見に来た時は、ポルシェがプロトタイプの356で初めてル・マンに挑戦した年だった。憧れの356がサルテサーキットを駆け回る姿を、必死にライカで追い掛けた事もすでに良い想い出だった。
「父さん、ポルシェ908が走り出すよ!」となりでサーシャが元気な声を挙げた。
今年は初めて、小学生になった息子も一緒に連れて来ていた。9歳のサーシャもボリス譲りのポルシェ・ファンで、レーシングカーにはボリスが舌を巻く程詳しかった。ボリスが撮り溜めたレースの写真を眺めては、将来F1レーサーになる夢を育んでいた。
グリッドにマシンが勢ぞろいする。予選の結果は、ポルシェ917がトップ、続いてフェラーリ512S、917、512Sと交互に並ぶがっぷりよつの体勢だ。決勝日は雨模様で、波瀾の幕開けとなった。出走は全部で51台。事故やエンジントラブルで次々と脱落していく。
24時間無事に走り切ったマシンは全部でわずか16台だった。
ポルシェは911が7台、914が1台、908が2台、全部で7台出走した917は5台がリタイアで2台が完走した。フェラーリは11台出走した512Sの9台がリタイア、2台が完走。1台エントリーの312Pも完走を果たした。その他のメーカーでは、コルベットが1台だけ完走した。完走16台中ポルシェが12台を占めた。結果はポルシェの圧勝だった。
総合優勝は917k、2位には917Lang Heck、3位は908/02が入った。
フェラーリは4、5位に512Sが入った。6位は914/6 GT、7位には2253ccの911Sが入賞と、全クラスポルシェが独占と言う結果に終わった。917はその使命を全うし、ポルシェは20年目にして悲願の総合優勝を獲得した。
ボリスもサーシャも最高の気分でサーキットを後にした。
結局この年、フェラーリは第二戦のセブリング12時間を制しただけで、残りの9戦は全て917と908のポルシェ勢が勝利を収めた。そして、昨年に続いてポルシェがメイクス・チャンピオンシップを獲得した。
1971年もポルシェ917kの快進撃は止まらなかった。
ブエノスアイレス100km、デイトナ24時間、セブリング12時間、モンツァ100km、スパ100km、ニュルブルクリンク1000km、そしてル・マン24時間、オーストリア100kmと、メイクス選手権全11戦中8戦で勝利を収め、3年連続マニュファクチャラーズ・チャンピオンシップを獲得した。残りの3戦、BOAC100km、タルガフローリオ、ワトキンスグレン6時間は3L V8エンジンを積んだアルファロメオT33-3型が勝った。フェラーリは2、3位に入るものの遂に優勝は出来なかった。
917kはル・マンでも1、2フィニッシュを決め、2連勝を挙げた。
フェラーリ512Mは3、4位、365GTB4 DAYTONAが5位に入った。
1960年代初頭から半ばに懸けて圧倒的強さを誇ったフェラーリも、ここにきてポルシェにその地位を明け渡したかのような結果となった。