
第二十話 1965年HONDA F1 初勝利
1965年10月、華やかな中で行われたパリ・サロンにおいて、1台のロッソ・コルサに身を包んだ悩ましい曲線を持つ淑女がピニンファリーナのブースを飾った。
彼女の名前は”ディーノ・ベルリネッタ・スペチアーレ”1968年に登場するディーノ206GTのプロトタイプだ。
低く押さえられた車高に悩ましく隆起したフロント・フェンダー、ミッドシップにレイアウトされたV6ディーノ・ユニットなど、基本的なデザインはほとんどこの時点で出来上がっていたようだ。
1965年10月24日、白地に赤い日の丸が描かれたホンダF1マシンは、海抜2200メートルの高地・メキシコシティのサーキットに現れた。
F1最終戦メキシコGPだ。シリーズ・チャンピオンの座はすでに6勝を挙げたロータス33クライマックスに乗るジム・クラークが決めていた。ホンダF1は、昨年のドイツGP以降まだ一度も勝利には恵まれていなかった。しかし、RA 272はメキシコの高地に来てパワフルなホンダ・エンジンの真価を発揮しようとしていた。ドライバーはアメリカ人のリッチー・ギンサー。彼は、他チームが空気が薄くてパワーを十分発揮出来ずにいる中、水を得た魚のごとくサーキットを駆け抜け、予選2番グリッドを獲得した。ポールポジションはジム・クラーク。しかしリッチーは、スタートと同時にトップへ踊りだし、途中一度も先頭を明け渡す事無くチェッカー・フラッグをくぐり抜けた。ホンダF1の記念すべき初勝利の瞬間だった。
当時の中村良夫ホンダF1チーム監督は、即刻日本の本社に宛てて電報を送った。
”Veni,vidi,vici ”(来た、見た、勝った!)という意味のジュリアス・シーザーの戦勝報告文を送ったという。ホンダは、F1参戦11戦目にして頂点まで達したのであった。
しかしF1が1500ccで行われたのもこのレースが最後で、翌年からはまた3000ccの排気量で争われる事が既に決まっていた。
ホンダは翌年、オートバイの世界GPで史上初の全種目(50、125、250、350、500cc) メーカー・チャンピオンを獲得するという快挙をやってのける。F2ではブラバムチームにエンジン供給し、史上初、破竹の11連勝を達成した。