男の名前はウォルフガング・ミューラー。銀色のスポーツカーの設計技術者の一人だった。今日は、出来立てのレーシング・マシンのシェークダウンの日だった。


 車を降ろしたその後は慌ただしかった。十数人のメカニック達が、黙々と整備をこなす。エンジンの調整がなされ、タイヤの空気圧が計られ、各部のネジがしっかりと増し締めされた。ボンネットやミッドシップに積まれたエンジンのフードがワイヤーで固定され、航空機用のハイオクタンのガソリンが注入された。それらの作業がまた、十数人の背広姿の男達に見守られていた。


 チーフメカニックがミューラーに目で合図を送る。ミューラーがうなづくと、セルモーターが回された。短いクランキングの後、獰猛な野獣が目覚めるかのようにエンジンがかかった。エンジンの咆哮は、地響きの様に朝焼けの空気を震わせ、辺りに轟いた。


 ドライバーと思しき背の高い男が、レーシングスーツに身を包み、革製のキャップとゴーグルを片手に現れた。


 ミューラーがドライバーとチーフメカニックを呼び寄せ、二言三言指示を与える。ドライバーはうなづくと、車高の低い、やや前よりに位置するスポーツカーのシートに、長い足を折り曲げるようにして乗り込んだ。シートサイドのボディーには、ハーケンクロイツのマーク。車体の前のボンネット下には、四つの円が重なりあったマークがペイントされている。ドライバーは狭いコクピットの中で、キャップとゴーグル、そしてグローブをつけると、ハンドルを握りしめ、片手を上げた。


 ミューラーはライカのファインダーの真ん中に彼の姿を捕らえ、シャッターを切った。


 チーフメカニックがピットの前で手を大きく回している。ドライバーがアクセルを踏み込む。銀色に輝くスポーツカーは、獰猛な咆哮を残し、滑るようにピットを後にした。


 この車こそ、アウトウニオンが勢力をかけて作り上げたグランプリカー、「Pワーゲン」だった。

 Pワーゲンは誰もいない朝焼けのサーキットを、一周目はゆっくりと、足場を確認するように走った。2周目の直線で、序々にスピードを上げて行く。しかし、まだ5分目くらいのスピードだ。


 Pワーゲンは2周するとそのままピットに入って来た。メカニック達が待ち受ける。ピットに戻ったマシンを素早く点検する。タイヤ、エンジン、オイル......各部の担当メカニックが異常なしと親指を立てる。全部のチェックが終わった事を確認して、チーフメカニックがドライバーにGoサインを送る。


 ドライバーはゆっくりとうなづくと、ゴーグルを微調整してハンドルに手を掛けた。左手の親指をたてると、弾かれたように飛び出して行く。


 次の周からPワーゲンは全力疾走に移った。


 長いストレートを疾風のように駆け抜けると心地よいエグゾーストノートを残して、ストレートエンドの上り坂を駆け登る。タイヤの軋む音を山々に響かせながら、Pワーゲンは快調に飛ばして行く。


 ミューラーは真新しいライカでその走りを次々と写真に納めて行った。


 10周程するとPワーゲンはピットにもどって来た。


 メカニックやアウトウニオンの重役達が笑顔でPワーゲンを迎えた。メカニックはすぐさま整備に取りかかったが、重役達はテストドライバーのシェルマンを囲んでマシンの出来を確認する。ミューラーは重役達に取り囲まれたシェルマンの姿もライカに納めた。
 ミューラーに気付き、シェルマンが上気した顔で近付いて来た。


「俺の走り、撮ってくれたかい?」
「ああ、もうフィルム二本も無駄にしちまった。」
 シェルマンが笑いながらミューラーの肩をたたいた。
「高く売れるぜ、そのフィルム。Pワーゲンは最高の車だ!恐ろしい位のパワーだぜ!
まるでライオンに後ろから押されてるみたいだったぜ!」
「あまり無理してマシンを壊さんでくれよ!まだこれ一台しかないんだ。」ミューラーは若いシェルマンの興奮気味な表情に、マシンの成功を見て取った。


 談笑する二人のところに、小柄でずんぐりした中折れ帽姿の紳士がやって来た。Pワーゲンの設計責任者のフェルディナンド・ポルシェ博士だ。


「シェルマン、良い走りだったじゃ無いか。」ポルシェは相好を崩してシェルマンに右手を差し出した。
 シェルマンも胸をはってその手を握り返した。
「ポルシェ博士、Pワーゲンは最高の車です!素晴らしいエンジンパワーだ。マシンのバランスも良いし、これならグランプリで絶対ベンツの鼻を明かしてやる事ができますよ!」
 ポルシェはそれを聞いて、嬉しそうにうなづいた。
「そうだ、ミューラー、重役連中をパドックのレストランに連れて行って、朝飯でもくわせてやってくれ。ここにいられるとうるさくてかなわん。」
 ミューラーはうなづくと、アウトウニオンの重役達を引き連れ、ピットからパドックへと向かった。



 その年の始め、ドイツではヒトラー率いるナチスが政権を獲り、国威発揚を狙ったヒトラーは、それまでグランプリをリードしていたイタリア勢を負かす為、ダイムラー・ベンツとポルシェ博士、それぞれにグランプリで勝てる車を作るよう、厳命していた。


 ポルシェはすでにその頃、ダイムラーベンツ時代の師匠であるルンプラーが設計した、ミッドシップレイアウトのレーシングカー”トロプフェン・ベンツ”に改良を加えたモデルの設計図を完成させていた。それをヒトラーの提案でアウトウニオンに作らせたのが、このPワーゲンだった。PワーゲンのPはPorscheのPだった。


 1933年は翌34年から新たに変更されるグランプリ・フォーミュラが発表された年でもあった。ダイムラーベンツとポルシェは、こうしてグランプリの準備を着々と進めていたのである。

 その夜、ミューラーが自宅に辿り着いたのは午後九時を少し回った頃だった。
 妻のダニエラが、息子のミックと娘のパトリシアに絵本を読んで聞かせていた。ミックとパトリシアはミューラーの姿を見つけると食卓にやって来て、今日裏庭で小山を作って遊んだ話をした。
 ミックはミューラーの荷物にライカを見つけ、目を輝かせた。
「そうだ、フィルムがまだ何枚か残ってたなぁ、お前達の写真を撮ってあげよう。」
 ミューラーはライカを構えて子供達に向けた。
 ミックとパトリシアははにかむような笑顔を浮かべてレンズを見上げた。
「チャキッ!」
 今度はミックが妹を前に抱えるようにしてポーズをとった。また「チャキッ」。
 ダニエラが夕食のスープを運んで来た。ミューラーは、その姿にもレンズを向け、シャッターを切った。ダニエラは、恥ずかしがって危うくスープをこぼしそうになった。家族の笑い声が響いた。ダニエラはスープをテーブルに置くと、髪を撫で付け、二人の子供を両脇に抱えて笑顔を作った。
 ミューラーは幸せを噛み締めつつ、3人にピントを合わせ、シャッターを押した。

 仕事場のデスクの上に飾られた、3人の笑顔の写真。
 ミューラーはその前にPワーゲンの設計図を広げ、こめかみを鉛筆でたたいていた。こないだのテスト走行で解った、不具合の箇所を、どうしたものかと思案していた。


「どうだね、問題解決の糸口は掴めたかね?」やって来たのは、ポルシェ博士だった。
 ミューラーはダイムラーベンツ社にいた時から、いや、正確には学生の時から、自動車のデザインにおいて、博士の合理的で独創的なアイデアに心酔していた。ポルシェ博士がいたからダイムラーベンツ社に入った樣なものだった。「彼の元で設計を学びたい」そう思ったミューラーは、ダイムラー社でポルシェの元、市販車を改造して作ったレーシングカー、メルセデスベンツSシリーズなどを共に開発してきた。そして三年前、1930年にポルシェが独立してポルシェ設計事務所を起こした時、一も二もなく付いて来たのだった。


 ミューラーは、小さい頃からオートバイや車に強い憧れを持っていた。鍛冶職人だった父は、幼いミューラーの為にブリキでおもちゃの自動車を作ってくれた。ミューラーはそのおもちゃで遊ぶのが大好きだった。


 年頃になると、オートバイを手に入れ、仲間と連れ立ってよく走りに行く様になった。そして、仲間の誰よりも速く走りたいと思う様になり、レースへと目覚めて行ったのだ。しかし、自分でレースに出場する事は、学生時代のオートバイ競技で終わりにした。車のレースは、貧乏学生に手が出せるような遊びではなかったのだ。やがて彼は、自分でレーシングカーを作ってみたいと思う様になっていた。


 1920年代から30年代前半にかけて、世界のモーターレース界をリードしていたのはアルファロメオ、マセラティ、フィアット等イタリア勢だった。中でもエンツォ・フェラーリチーム監督率いるアルファロメオは、イタリアの時の宰相ムッソリーニの「イタリアの為にレースに勝て」という激励を受け、国威発揚に大いに貢献していた。


 その頃、唯一ドイツ勢で対抗していたメルセデスベンツのレーシングカーを作っていたのが、ポルシェ博士だった。
 ミューラーはダイムラーベンツ社に入社以来7年間、様々な仕事を通じて、ポルシェの影響を大きく受けて来ていた。ポルシェ博士も、若く、レーシングカーの製作に一生懸命なミューラーのことを大いにかっていたのだった。


 ミューラーはポルシェ博士に、いくつか悩んでいる点を質問した。ポルシェは、それらにテキパキと適格な指示を出し、去って行った。改めてミューラーは博士の偉大さに感服し、その助言を元に、技術的な高い壁を乗り越えて行くのだった。

  その頃、ドイツ国内ではヒトラー率いるナチスが台頭し始めていた。


 3月23日にはヒトラーに独裁権を与える全権授与法が成立し、SS(親衛隊)による国内の治安維持体勢の強化が進められていた。5月にはユダヤ人著者が書いた書籍の焚書が行われ、徐々にではあるが、ユダヤ人迫害の気運が育ちつつあった。


 ポルシェ設計事務所でも、その経営・財務を担当していたユダヤ人のアドルフ・ローゼンベルガーが、ヒトラーの首相任命と同じ日、辞任しアメリカへと亡命していった。


 ポルシェの抜けたダイムラーベンツ社は、ハンス・ニベルを後任の技師長としてGPカーの開発を進めていた。そしてこの年10月、ドイツは国際連盟と軍縮会議を脱退し、ヒトラーは第一次大戦以後禁止されていた再軍備を開始した。

 

 

第二話につづく