
第十八話 1963年ジョン・F・ケネディ暗殺
カレラ2は1963年5月4日、鈴鹿サーキットにその真紅の勇姿を現した。
記念すべき第一回日本グランプリの舞台で、華やかに日本デビューを果たしたのだ。
カレラ2は、1963年のモンテカルロ・ラリーにおいてもクラス優勝を飾っている。
1963年9月12日、ボリスはフランクフルトで行われたオートショーの会場にいた。
ポルシェはここでセンセーションを巻き起こしていた。全く新しいニュー・モデル、ポルシェ901の登場だった。
これまで15年間に渡って数々の改良を加えながら進化して来た356も、遂に全面的な改良を受ける事になったのだ。空冷の水平対向エンジンをリアに搭載する基本的なレイアウトはそのまま踏襲されたが、エンジン、足回り、ボディそれら全てが全く新しい設計による901は、フェルディナンド・ポルシェ博士の孫に当たるフェルディナンド・アレクサンダー・ポルシェ3世(通称ブッツィー)が設計した。
エンジンは空冷水平対向の6気筒SOHCで1991cc、圧縮比9.0:1から130ps/6100rpm、16.7kg-m/4600rpmを発生する。ミッションはオーバートップの付いた5段となり、最高速は210km/hに達し、ノーマル356に比べて大幅に向上していた。モノコック構造の2+2クーペで、強力な4輪ディスクブレーキを装備していた。格段に向上したそのスペックと斬新なスタイルを見て、ボリスは少し寂しさを感じていた。自分の愛した356が、やがてこの901にとって代わられて姿を消して行ってしまう。しかしまた、その新しい901を早く走らせてみたいと言う欲望も沸き上がっていた。
1963年11月23日、日本ではテレビの衛星生中継が初めて行われるという記念すべき日を迎えようとしていた。
地球の反対側で起こっている事がリアルタイムで見られると言う事で、多くの視聴者が早朝にもかかわらずその映像を心待ちにしていた。そんな人々の目に、アメリカから衝撃的なニュースが飛び込んで来た。
「アメリカ合衆国大統領ジョン・F・ケネディ、遊説中のテキサス州ダラスで暗殺さる。」
アメリカ時間11月22日の出来事だった。
ケネディはこの年の始めに大統領に就任し、わずか10ヶ月目の出来事だった。
ケネディは、対外的にはキューバ危機問題でソ連がキューバにミサイル基地建設を進めていた時、海軍により実力で海上封鎖を行い、全面核戦争勃発の一歩手前まで行ったり、北ベトナム共産化問題を抱え、国内では黒人解放政策に、南部の保守的な白人の強い抵抗を受けていた。山積する諸問題に、真摯な姿勢で取り組んでいた若い大統領を襲った悲劇だった。
アメリカの悲劇は、大統領を殺された事だけでは無かった。大統領暗殺という暴挙の真相が、国民に納得出来る形で明らかにされる事無く、闇の中に葬り去られた事である。
ケネディ大統領暗殺事件に関しては、様々な矛盾や疑問があるにも関わらず、「ウォーレン委員会報告書」なるレポートで、何の事実も明らかにされる事無く、2039年まで時の彼方に封印されてしまったのである。
大統領暗殺という程の大事件が、これ程簡単に迷宮入りさせられてしまうアメリカとは、一体どんな国なのだろう。