
第十七話 1962年フェラーリ250GTOの快進撃
1962年2月24日、ボリスはイタリアの片田舎、マラネロにやって来ていた。
モデナの街から南方数キロに位置するこの小さな村こそ今やヨーロッパの、いや世界のレース界をリードする、スクーデリア・フェラーリの本拠地であった。今日はここで、フェラーリ恒例のシーズン用マシンを公開するプレス発表会が行われる事になっていた。
ボリスは、昨年F1コンストラクターズ・チャンピオンに輝いたフェラーリのニュー・マシンを取材に来ていた。しかし、ボリスの関心を奪ったのは一台のニューGTカーだった。

”フェラーリ250GTコンペティション・ベルリネッタ”、後にGTOの名前で世界のレースを席巻するマシンだ。
エンジンは3リッター水冷V型12気筒SOHCで6基のウェーバー38DCNを装備し、300HP/7500rpmを発揮した。
3月23日、そのコンペティション・ベルリネッタは250GTOの名前でセブリング12時間レースの会場に姿を現した。GTOのOはOmologato(英語のHomologate)の頭文字だ。
250GTOはデビューレースを総合2位、GTクラス優勝で飾った。
6月、フェラーリはル・マンに15台のマシンをエントリーしていた。
GTOをオープントップにしたようなボディーに4リッターエンジンを積んだ、ル・マン専用車330LMスパイダーを筆頭に、GTOが7台、その他250 TR 61、250TRI、268SP、246SP、250SWB等がずらり顔を揃えていた。
結果は、フェラーリ・レッドのマシン3台がゴールラインを駆け抜けた。330LMが総合優勝を獲得。GTOが総合2、3位でGTクラス優勝。圧倒的強さを見せつけた。
250GTOはこの年、各地のレースで大活躍を見せる。
タルガフローリオで総合4位GTクラス優勝、モンタレイ1000kmレースで総合優勝、グッドウッドTTレースでもGT 1位、ニュルブルクリンク1000kmでは4リッターエンジンを積んだGTOが総合優勝を挙げている。こうしてフェラーリは、1962年度の世界スポーツカー選手権の年間チャンピオンを獲得した。
フェラーリの勢いは1963年も、また幅広でより低い新ボディの250 GTO 64に進化した1964年も衰えず、シリーズ・チャンピオン3連覇の偉業を達成する。
250 GTOは、全部でわずか39台しか製作されなかったが、そのそれぞれが輝かしい戦績を残してサーキットを後にしている。

1962年はポルシェにおいても、最強の356が発表された年でもあった。
カレラ2の登場である。正式名称は356カレラ2000GSと、レース用に軽量化が施されたカレラ2000GS - GTだ。
カレラ2には356Bの後期型と356Cのボディがあるが、バリエーションもクーペとカブリオレの2種類のみで、取り外し可能なハードトップがオプションとして用意された。エンジンはRS 61のデチューン版587/1型が積まれていた。1966ccのDOHC4カムフラット4で、圧縮比9.5:1から130ps/6200rpm、16.5kg-m/4500rpmのトルクを発生した。最高速は200km/hを実現し、0〜100km/hが8.9秒という俊足を誇った。