
第十一話 1954年ライカM3登場
翌1954年2月、ニューヨークで行われたモーターショーで、メルセデスベンツは 52年にデビューさせた300SLの市販バージョンを発表した。マルチ・チューブラー・スペース・フレームとガルウィングドアはそのままに、フロントノーズのデザインが一新され、エンジンは市販量産車としては初めて、ボッシュ製の燃料噴射装置、フューエル・インジェクションが装備された。最高出力も215ps/5800rpmに引き上げられ、0〜400mは15.3秒、最高速は3種のファイナルが用意され、それぞれ240、250、260km/hをマークした。当時の価格で6820ドル。非常に高価だったが、他を圧倒する高性能とメルセデスというステイタスにより、世界のセレブリティに愛されている。ハリウッドスターのユルブリンナー、ソフィア・ローレン、指揮者のカラヤン、日本でも力道山、石原裕次郎といった人々が顧客に名を列ねている。
1954年4月、ボリスはドイツのケルンで行われたフォトキナというカメラ機材展の取材に出かけた。ライカがニューモデルを発表すると言うのだ。ボリスが使っていたライカCも大分古くなり、そろそろ新しいカメラが欲しいと思っていた頃だった。会場に足を踏み入れたボリスは、迷わずライカのブースに一直線に向かった。ライカのブースは黒山の人だかりだった。そこで発表されたモデルこそ、後に名機と謳われた”ライカM3”モデルだった。ライカのM3は、フィルムの巻き上げ方式がそれまでのノブ式からレバー式になり、操作性・速写性が格段に向上していた。レンズの取り付けもスクリューマウント式からワンタッチで着脱可能なバヨネット方式に進化していた。ボリスが一番感動したのは、ファインダーであった。M3のブライトフレームと呼ばれるファインダーは、明るくカッチリしたほぼ等倍の像がファインダー視野に張り付いたように良く見えた。その上シャッター音も静かで手に馴染むホールド感も最高だった。デザイン的にもそれまでのクラシカルなものとは一線を画する精緻でスタイリッシュな感じを受けた。しかし、ボディの大きさはバルナックに比べてやや大きくなり、携帯性は以前のものの方がボリスは好きだった。更に価格はおいそれと手の出せるものでは無く、ボリスは今暫くCで我慢するしか無い事を悟った。
そしてこの年の5月25日、世界的に名を馳せていた名カメラマン、ロバート・キャパがフランス領インドシナの戦場で、地雷に触れ死亡したと言うニュースが入った。キャパは、第二次世界大戦のノルマンディー上陸作戦の写真や、パリ解放の時のパリの様子を写した写真で、報道関係の人間の間では知らぬものの無い程有名な男だった。この頃からまた、東南アジアやインドシナ近辺がきな臭い戦争の話題に包まれはじめる。
1954年のポルシェは、のち1979年までポルシェ社の社長を努めたエルンスト・フールマン博士が開発した新設計のDOHC4カムシャフト通称”フールマン・エンジン”を550スパイダーに積んだ1500RSを世に送りだした。RSとはレン・シュポルトの頭文字でレーシング・スポーツを意味する。タイプ547と呼ばれたこのエンジンは、排気量1498ccながら110馬力/6200rpm、13.2kg-m/5300rpmのトルクを発生した。最高速は220km/h以上で、0―100km/hは10秒を切るという驚異的な数字を残している。550スパイダー/1500RSは総生産台数90台で、最初の12台がポルシェワークス&バックアップ用で、一般向けには78台が販売された。
この550スパイダー1500RSは、’54年のミッレミリアでデビューし、へルマンとリンゲのドライブで総合6位、1500ccクラス優勝に輝いた。リエージュ〜ローマ〜リエージュには同じ547エンジンを積んだ356が出場し、見事総合優勝を獲得した。
1954年7月4日、ランスで行われたF1第4戦フランスグランプリに、遂に陸海空を現すスリーポインテッドスターの勇姿が戻って来た。大戦前の1939年以来、実に15年ぶりの最高峰グランプリへの復帰だった。メルセデスは、主任設計技師ルドルフ・ウーレンハウトの手になるニューマシンW196を引っさげ、満を持してのグランプリ復帰となった。F1はこの年から車両規定が一新され、排気量は自然吸気が2500cc、過給器付きが750ccまでとなっており、メルセデスは、数年前からグランプリ復帰を目指して、マシンの開発に取り組んでいた。ウーレンハウトは、自然吸気の直列8気筒DOHC、2497ccのエンジンを設計し、機械式直接燃料噴射を取り付けて、290ps/8600rpmを絞り出した。このエンジンは60度傾斜して搭載し、低く平べったい空気抵抗を極力減らした、ストリームライナーと呼ばれるスポーツカーシェイプのボディで、300km/hの最高速を実現した。ドライバーには、第一戦からマセラティでアルゼンチンGPとベルギーGPを制した’51ワールド・チャンピオンのファン・マニュエル・ファンジオを引き抜いて連れて来ていた。ファンジオの駆るW196Rは、大事なメルセデスのグランプリ復帰戦をあっさりと優勝で飾った。チームメイトのクリンクが2位に入り、W196Rは1、2フィニッシュで圧倒的速さを強烈にアピールした。W196Rは高速サーキットでは、前述のタイヤまでボディに隠れたストリームライナーを用い、低速テクニカルコースでは、タイヤがボディの外に出た葉巻き型のボディを使用してその後も快進撃を続けた。イギリス、ドイツ、スイス、イタリアの各グランプリを制し、メルセデスはチャンピオンシップを獲得。ドライバーズ・タイトルは、マセラティで2勝、メルセデスで4勝を挙げたファンジオが、3年ぶり2度目の世界チャンピオンに輝いた。